日本酒の歴史

日本酒の黎明期

奈良時代初期、周の時代の中国で開発された麹による酒造りを百済から帰化した“須須許里”(すすこり)が伝承したと古事記に記されており、これが現在の日本酒の原型だと考えられています。またこの麹を“加無太知”(かむたち)と呼び、麹による醸造法が普及していったとみられます。

しかし、平安時代の頃までは朝廷のための酒の醸造であり、まだ神事で使われることが多く、商用として発展し始めたのは鎌倉時代以降のことです。

その後、日本酒は技法的に発展を遂げますが江戸時代初期頃までは、新酒、間酒、寒前酒、寒酒、春酒と1年に5回も仕込まれていました。その中でも低温・長期発酵といった醸造条件が最も適していることが分かり「寒造り」が主流となります。また、保存性を高めるために火入れや、香味を整え火落ち酸敗の危険を低くする醸造アルコール添加など画期的な手法が開発されます。

日本酒の発展期

明治期にはいると、国は税金の収集を強化し日本酒も「酒税」の対象となり、同時に自家醸造が「密造」とされ完全に禁止になります。

明治42年には1升びんが開発され、大量生産を目標に速醸法が編み出され、国立の醸造試験所も開設されます。

昭和初期に堅型精米機の発明、温度管理、微生物管理が容易なホーロータンクが登場します。また6号酵母の採取、分離、純粋培養といった技術革新が相次ぎ、近代酒造の原型が出来上がります。

日本酒の暗黒期

しかし、昭和14年に米の統制が始まり精米が制限されると、日本酒は金魚も泳げるほど水で希釈された「金魚酒」が横行します。昭和18年には日本酒の級別制度が作られ昭和24年には「特級」、「一級」、「二級」の3段階に改定、戦後の贅沢品には高額の税をかけるという従価税的な発想で整備されます。この制度の下で実施された級別審査は偏ったものとなり、結局酒の品質や美味しさ評価がないがしろにされる結果となります。またアルコール度数と税金を多く収めた酒であれば「特級」を名乗れるという抜け道にもなりました。

こういった戦前、戦中に生まれた悪弊は、各大手酒造メーカーが高い税率を帳消しするため、安価な酒を造りだすこととなります。それは、米麹が原料の酒のもろみに、同程度のアルコール度数になるよう醸造アルコールを薄め、そこに糖類、酸味料などの調味液等を副原料を加えた「三倍増醸酒」といわれるものでした。酒造メーカーはこの「三倍増醸酒」の大量生産を始めます。

日本の酒文化を根底から崩した悪法は、質の悪い酒を大量に生み出す結果となり“日本酒は悪酔いする”などという悪い印象を残すこととなります。未だにこの頃の日本酒を経験したイメージが中高年層のトラウマとなっているようです。

第一次日本酒ブーム

1970年代半ばにおこった地酒ブームは、“二級酒は美味しいぞ”という一部の日本酒マニアの気づきからであったようです。新潟の越乃寒梅等がもてはやされたのはこの時期であろうと思われます。一部の酒蔵はあえて“無審査本醸造”などというネームをラベルにつけ、国税の縛りなく”本来の酒の味だけ”を追求している事をアピールしたりしました。

次第に清酒へ高い品質を求める消費者が増え始めるとともに、等級制度による需要供給バランスが崩れ平成4年に至りようやくこの級別制度が完全廃止されます。

第二次日本酒ブーム

1988年から1991年にかけ『モーニング』に連載された尾瀬あきらの夏子の酒は新潟の久須美酒造をモデルとし日本酒の新たな火付け役となります。またその後、淡麗酒の人気を博した福井の黒龍酒造はこの漫画のライバル蔵のモデルとされています。

主人公が女性だった事もあり、それまで日本酒イコール男のイメージが無くなり、女性や若い人達のあいだにも広がりはじめました。その後、漫画はドラマ化され、その影響もあり、少しづつ元来の日本酒の良さが大きく見直されるきっかけとなりました。

奇しくも日本酒の等級制度が完全撤廃された平成4年は、この漫画が連載された、翌年の事でした。

第三次日本酒ブーム

残念ながら杜氏の後継者は年々減少し、平均年齢も高くなってきましたが、その一方で、大学や高校で農業や醸造を学んだ蔵元の子弟などが、酒造りの経験を積み重ね、自ら杜氏・蔵人として活躍する例が増えてきました。杜氏に匹敵する技能を持った社員酒造技能者が増えることで、古参の杜氏や蔵人の間でも切磋琢磨し、既成概念にない個性的で品質の高い酒が生み出されるようになりました。

ここ数年の新たな日本酒ブームは、そういった若い酒造りの技術者達を中心とした大きなうねりであり、日本酒の元来の良さと新たな可能性を見出していると言えます。